【佐渡島】「佐渡金山」探検! 金銀へ思いを馳せた人々の夢とロマン

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江戸初期の露天掘りの跡「道遊の割戸」

江戸初期の露天掘りの跡「道遊の割戸」

新潟港から高速船ジェットフォイルだと約65分(カーフェリーで約2時間30分)で到着する新潟県佐渡島のシンボル、佐渡金山(相川金銀山)は、江戸時代から1989(平成元)年の操業停止まで、国内最大の金銀山でした。

主要金鉱脈は8本、東西3000m、南北600m、深さ800mあり、掘り進めた坑道の総延長は実に約400kmに達したといいます。江戸初期の露天掘りの跡「道遊の割戸」は巨大な金脈を掘り進むうちに山の頂上がパックリと割れたそうで、佐渡金山のスケールの大きさが見てとれました。

本記事は世界文化社運営のメディア「レアニッポン」にて2018年7月に掲載されたものですが、「レアニッポン」閉鎖に伴い、当ブログに記事を移行し加筆しました。

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当時の人々の働きが分かる宗太夫坑

宗太夫坑

宗太夫坑

竪穴の採掘現場はかなりの高低差がある

竪穴の採掘現場はかなりの高低差がある

江戸時代初期に掘られた宗太夫坑(江戸金山絵巻コース)には、当時働いていた人々の様子が人形で忠実に再現してあり、臨場感抜群です。

地下水を汲み上げる樋引人足

地下水を汲み上げる樋引人足

江戸時代、採掘の現場ではさまざまな仕事がありました。坑道の地下水を汲み上げて外に排水する「樋引人足」は一昼夜交代制で行われたそうで、かなりの重労働でしたが、当時としては賃金が良かったそうです。

宗太夫坑はゴツゴツとした壁面が続く

宗太夫坑はゴツゴツとした壁面が続く

洞窟内の温度は年間を通して10℃。夏場に入るとかなりひんやりとしています。

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展示資料館では佐渡金山にまつわる資料を展示

展示資料館では佐渡金山にまつわる資料を展示

展示資料館では当時の人々の暮らしぶりなどが鉱山町のミニチュアで再現。金の採掘から精錬、佐渡小判になるまでの工程が分かりやすく展示されています。

本物!の金塊は、重さ12.5kg

本物!の金塊は、重さ12.5kg

展示室の最後には本物の金塊(約6000万円相当)が。片手が入るくらいの穴が開いた透明なケースから30秒以内で取り出すとシリアルナンバー入りの金箔カードが贈呈されるとか。力自慢はぜひ、挑戦してみて!

道遊坑(明治官営鉱山コース)はさらに温度が低い

道遊坑(明治官営鉱山コース)はさらに温度が低い

明治時代から約100年間使用された道遊坑(明治官営鉱山コース)は、宗太夫坑よりもさらに温度が低く、入り口からは冷気が吹き出していました。

明治期に掘られた道遊坑には、トロッコのレールが敷かれている

明治期に掘られた道遊坑には、トロッコのレールが敷かれている

操業当時のままのトロッコ

操業当時のままのトロッコ

外へつながるレールには、石が積まれたままのトロッコが操業当時の姿で保存され、まさに時が止まったかのようでした。佐渡金山では、他にも真っ暗な坑道をヘルメットとライトを頼りに進むガイド付き山師ツアー(前日までに予約が必要)も体験できます。

江戸時代には徳川幕府を支え、明治期にかけて日本の近代化に大きく貢献した佐渡金山やこれらの産業遺跡は、その役目を終え、自然に還りつつありました。2010(平成22)年には「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」として、ユネスコ世界遺産暫定リストに記載されるなど、世界遺産登録を目指している佐渡金山。ここでは金銀に思いを馳せた当時の人々の夢とロマンを、今でも垣間見ることができます。

取材協力:新潟県観光協会

史跡 佐渡金山

所在地:新潟県佐渡市下相川1305
公式サイト:http://www.sado-kinzan.com/

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